ぺんぎん的幸福論としての刹那主義
わたしは自分のことはいつでもめちゃくちゃ幸福な人間だと思ってる。
生きづらさを最大限感じつつも幸福も最大限受け止める「ぺんぎん的幸福論としての刹那主義」について書く。
ぺんは単純だ。誰かに出会うために生まれてきたし、いつでも魂と魂がリンクする瞬間だけを求めている人間だとおもう。
人に会うことが好きで、肌が触れ合うことが好きで、セックスが好きで、恋愛が好きで、そうやって生きていることが、結局は好きだから、幸福になるのは簡単。
愛の絶対量だけは誰にも負けないくらい多いから、いつだって愛が有り余って仕方ない。
生きてる実感があるのは、魂と魂がリンクする瞬間だけ。
腐るほどの人間の中であなたに会えたとして、伝えたいことが山ほどある中で何を伝えよう?何を見せ合おう?
さっきすれ違った猫が雨に濡れて細くなって可愛かったこと?
外套の光が点滅していてモールス信号みたいだったこと?
定期入れの中から中学時代のプリクラが出てきたこと?
触れた肌が気持ちよくてセックスも添い寝も一緒だって思えたこと?
時間が足りない。全然、時間が足りない、そのことに気付いて絶望的な気持ちになる。
電車の中から街の明かりを見る。
何千何百の光のひとつ一つが誰かの人生だ。
わたしは限りある命でそのうちあっさり死んでしまうから、たくさんの光のすべてには触れることができない。
通り過ぎる光があまりにもキラキラしていて涙がでる。悔しい。触れたい。
愛するエネルギーだけが、イコール生きるための
エネルギーになる。
ときどき力尽きるけれど、それは疲れただけで、エネルギーそのものが底を尽きることはない。
絶対にない。
🌃
もっともっと、と強欲に望んでしまうから、「いつ死んでも後悔はない」ということを言い切れない。
明日死んでもいい、という気持ちで今日を生きたいのに、それができないことがこんなにも悔しい。
気が付けば、いま可愛くなることよりも風呂で落としやすい化粧品を選んでいる。
次の日の朝の会議の準備のために早めに帰宅している。
何が大事なのかわからなくなって眩暈がする。
明日のことばかり考えている自分が腹立たしい。
昨日があって今日があるから、だから明日がある、それは当たり前のことなんだけれど、気が付けばこの瞬間を大事にできていない気がして怖い。
この瞬間よりも優先するべき「明日」なんてあるのか?明日生きている確証すらないのに優先するべきなのか?
少し先の未来のことばかりを考えて今この瞬間が
「なあなあ」に過ぎていくのが怖い。
瞬間瞬間を愛で満たして生きることはなんて難しいんだろう。
🦩
時間にも縛られていて身体にも縛られていて思うとおりに生きられないから苦しい。
好きな人がいても、慣れてしまうことが極端に怖い。飽きてしまうのは悲しいから、そんなことならば自分から断ち切ってしまいたい。
考えるだけでしんどい。
二日酔いで頭が痛い。夏の寝汗が気持ち悪い。
タクシーの運転手さんに雑談ふったら無視された。
カエルみたいに足を曲げてヒクついてセックスしてる自分は、めちゃくちゃ気持ち悪い。
苦しい。瞬間瞬間を大事に生きれば生きるほど、
気持ち悪さも嫌なことも抱きしめないといけない。
やるせない。
今だけを見ていると、傷つくときも逃げ場がない。明日の自分も過去の自分も助けてくれない。
でも真っ正面からだれかの魂とリンクするには、今この瞬間に常にフォーカスし続けるしかないと思うから、あえて刹那主義を掲げて生きる。
考えてみると、高校時代にチアのステージに立つ瞬間が、最初のきっかけだったとおもう。
手足が震える子、泣き出す子、イアホンをしたままじっとする子。極度の緊張が走る瞬間が大好きだった。
この瞬間のためだけに生きたいと思った。
それなのに、セックスしながら洗濯物のこととか
考えてしまう自分がいるし、目落ちする直前に目覚ましかけたっけ?と思って飛び起きたりしてしまう。馬鹿なのか?!?
気が付けばまた朝になって通勤電車だ。
生きづらい! !!!!!
💫
生きづらさに流されてしまって悔しいけれど、でももっと、誰かの魂とリンクしたいし、生きていられる時間はあまりにも短いからやっぱり瞬間、瞬間を大事にしたい。毎秒セックスしたいし全部中出しがいい。
この電波の強度がもっとあればと願うけど、無いなら無いで構わない、見つけてもらえるようにちゃんとわたしから走っていってあげる。
そうしないことは、怠慢だとおもう。
いまだってもしかしたら、昨日電車の窓から見ていた街の明かりの一つと、いま発しているわたしの電波がリンクした瞬間だったりするのかもしれない。
そんな瞬間だけを求めて日々生きています。この電波を受信してもらえたらわたしは幸せだし、積み重なって幸福になれる。
絶望とか不安はばらまかない主義だ。
愛だけで電波を飛ばし続けたい。
リアルも、画面越しでも、魂の核は変わらないから、この電波に触れてくれたならそれは実質、手を繋ぐこと、抱き合うことと同じです。
受け取ってくれてありがとう。
🥤🥤🥤おしまい🥤🥤🥤
夏だね。