好きな映画をゆるく紹介1「her/世界でひとつの彼女」
すきな映画教えてって言われたときとか、10個挙げてって聞かれたとき、毎回挙げているくらい好きな映画っていくつかある。
そのうちのひとつが
「her/世界でひとつの彼女」
(原題:Her)2013
監督・脚本:スパイク・ジョーンズ
主演︰ホアキン・フェニックス
好きなひと多いと思うから今更かも・・・だけど紹介したい。
なぜなら、外出自粛のいま、誰にも会えずに家でひとりで見てほしいのは、感染症パニック映画よりSF恋愛映画だからです、個人的に。
※ちなみにnetflix配信中(重要)
ホアキンは昨年ジョーカーになっちゃって惚れた人も多いと思うし、恋愛映画に興味が無い人も、ジョーカーとは違う方向からメンタル責められる映画としてこれも是非みてほしい。
あらすじ(Filmarksより引用)
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近未来のロサンゼルス。セオドア(ホアキン・フェニックス)は、他人の代わりに想いを伝える手紙を書く“代筆ライター”。長年一緒に暮らした妻キャサリン(ルーニー・マーラ)に別れを告げられるも、想いを断ち切れずにいた。女友達のエイミー(エイミー・アダムス)は彼を心配して友人を紹介しようとしたりしてくれるが、彼はそんな誘いも断り傷心の日々を過ごしていた。
そんなある日、人工知能型OSの“サマンサ”(スカーレット・ヨハンソン)に出会う。出会うといっても実体をもたない彼女は、コンピューターや携帯画面の奥から発せられる“声”でしかない。けれど“彼女”は、驚くほど個性的で、繊細で、セクシーで、クレバー。セオドアは次第に“彼女”と仲良くなっていき、イヤホンで“彼女”と会話をする時間を誰と一緒にいるより自然に、幸せに感じるようになる。仕事中相談をしたり、夜寝る前にささいな会話をして笑いあったり、携帯のなかに“彼女”を持ち出して外出したり旅行をしたり・・・。サマンサにとってもセオドアを通じて見る世界は新鮮で刺激的で、やがて二人は恋に落ちるが――。
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好きな映画のジャンルとして恋愛映画を挙げるのは、わたしが恋愛ジャンキーだからですが・・・そのなかでも「観ているこっちを試してくる恋愛映画」「観ていてモヤモヤする恋愛映画」が好き。
「her 」を観ている間、その2時間、「恋愛をどう定義するか?」ということを、かなり丁寧に試される。
あらすじは上に引用したとおりだけれど、要約してしまえば「離婚協議中の主人公がSiriみたいな人工知能(OS)に出会って恋愛をするはなし」で、至ってシンプル。
目線は常に主人公のセオドア。まっすぐに一人称の映画。だから、観ている方もそのままセオドアの目線で考えたりできる、没入感。
相手はサマンサと名乗るOSで、Siriに例えたけれど、Siriのプログラムが果てしなく進化を続けた感じの存在。
Siriと同じで顔とかは無い、あくまでも、声だけ。
その声を演じるのがスカーレット・ヨハンソンだから、もうなんというか、「えっち・・・」て感じなわけです。
存在感の塊みたいなハスキーボイス。あーこれはもうSiriじゃないわ、ロボットじゃないわ、人工知能・・・人工ってなに?と錯乱させてくれる、説得力のある声にきゅん。
あらすじをいじって、「離婚協議中の主人公がキュートな女のコに出会って恋愛をするはなし」に変えてみれば、これも正解。だってそういう話。
だけど、相手を“キュートな人工知能” にしたことによって、問いが生まれる。
リアルな関係ってなに?とか、リアルな感情ってなに?とか、愛?ってなに?とか、肉体ってなに?とか、なんのためにセックスするのか?とか。
舞台は近未来。セオドアの職業は「代筆ライター」で、会ったことのない人の代わりに手紙を書く。例えば、50年連れ添った夫婦からの依頼。奥さんの代わりになって旦那さんに「愛してる」みたいな手紙を書いたりする。
・・・それって貰った方は嬉しいのか?とか思うけど、でも、貰った方からすればリアルな手紙だし、内容はリアルな感情・・・主人公がOSと恋愛する姿にも重なる。人工のものがリアルになる瞬間。
設定や話のテンポに無駄がなさすぎるくらい無駄がない。終始、実験をされている気持ちになれてこっちはもう脳みそブシュブシュ破裂しながらハッピーになれます。
説明らしい説明がなくても、たとえば主人公が興味を持つニュースやその仕事ぶりから、繊細さとかロマンチストなところとか真面目さとかが浮かび上がってくる。映像と音楽でぜんぶ表現しちゃうのめちゃくちゃ映画ちっくだし、当然の事ながらホアキンの演技は神がかってる。
近未来が舞台になっているけれど、今だってそう、リアルとフィクションの境目は曖昧。
会ったことないひとにTinderでハートマークおくってみたり、メル友に本気で恋したりするし・・・そういうとき画面の向こうに本当に人間が存在するのか?とか考えても無駄。分かんないから。それに、もし存在しなくても、気にするかって感じじゃん?
「OSとの恋愛」というのは、心理実験的な設定であって、その恋愛における様々なシチュエーションを仮定することで、恋愛の定義そのものを浮き彫りにしてくる。
でも考えてみれば、ぜんぜん奇想天外な設定じゃなくて、ぶっちゃけ有り得るから、自分の信じてる恋愛感がフワッと揺らぐのがこの映画のたまらん部分。
だって、恋愛は脳内物質の異常、それだけでしょう?でもほんとにそれだけですか。
肉体とかセックスはなんの意味を持つのかってこともこの映画のテーマになっていて、いろんなシチュエーションが登場する。
セオドアは序盤のほうでリアルな女のコとネットで繋がってえっちな電話とかするんだけど、意思疎通が上手くできずに(というか相手の性癖がキモすぎる)終わってしまう。あるある感が笑えるし笑えないやつ・・・
フツーに女のコとデートして、その帰りにいちゃついたりもするんだけど、テンションが合わなくて微妙な感じになる。これもめっちゃあるある。
あーもうつらいわ、ぴえんだわ、頼むから幸せなセックスしてくれよって気持ちになってくる。
で、声だけのサマンサ(OS)ともセックスする。
わお、と思うのが、サマンサになりきったリアルな女のコともセックスする。
このあたりは、もう観てくれって感じなんだけど、OSと人間の決定的な違いは、肉体の有無。
声だけのOSとのセックスってどんな感じ?
それに「仮の身体」を与えたらどうなるか?
というのはめちゃくちゃ実験的で面白い。身体は誰のものか?
身体は絶対に必要なのか?
わたしたちが物体である意味はなにか。
印象的な会話がある。
セオドアがサマンサと海岸を散歩しながら、たくさんの人たちが寝そべったり遊んだりしているのを眺めているシーン。(スマホをポケットに入れてふたりでデートしたりする)
「人体の記憶を消して人間を見たらどうだろう?」
人間の身体って冷静に考えたら変じゃない?なぜこんな形を?なぜこんな場所に耳が?たとえば、脇の下にアナルがあったら?とか言うわけです。
なんのために身体がある?身体の意味ってなに?みたいなことをモヤモヤ考えてしまう。
セオドアとサマンサの恋愛のことを、「無償の愛」と表現してきたひとが登場するが、違和感で気持ち悪くなる。ゲイカップルに対して同じ言葉を使う人とそっくりだ、子どもが産めなければ無償の愛なわけ?つまり、身体は生殖のため?
この映画、こんな調子で終始モヤモヤさせられるけれど、たぶん、エンディングは爽やかな気持ちになれるはず。
わたしが辿りついたのは肉体の肯定。 わたしたちは肉体に縛られているから、会いたい人に瞬間的に会うこともできないし、同じ時間に複数の場所にいることもできない。
不便だけど、それは、この瞬間にはここにしか存在できないということを意味している。存在の確かさを証明してくれる身体そのものが愛おしい。
ラスト、ふたりの恋愛がどうなるとか、もうこれ以上は伏せておきます。モヤモヤしたりフワフワしたいひとに、おすすめ。
✼••┈┈┈┈••おしまい••┈┈┈┈••✼
関係ないけど最近BASIばっかり聴いてるわ
良き