「分かり合いたい」という呪縛!!
どうもぺんぎんです。
(爆笑してしまってボツになった自撮り供養)
今日は最近思ってることについて相談したい
きいて?( iᴗi )
🧸
なにかっていうと・・・
恋愛のことを話すときに「分かり合う」「分かり合いたい」というワードが出てくるけれど、
「分かり合いたい」ってやばいよなー
っていうのを最近よく考える。
なにがやばいよなーなのかというと、
「相手の存在ありきで自分が成立している感じ」
がやばいのであって、
それが恋愛かくあるべしみたいになっているところ
がますますやばいと思うのです。
🥤
いやなんで急にこんな話をしはじめたかというと、東京に来てからこの1年くらいの間、ぼちぼち恋愛とかしてましたが、だんだん、やっぱり恋愛って難しいよな、無理じゃね?というかもう頑張れないなと思うようになったからです。(突然の吹っ切れ)
この話を例のシンヤ(山口時代のセフレ/ヤリチン日本代表/ぺんぎん唯一の相談相手)にしてみたら、
「ぺんぺん相変わらず穴でモノ考えてるからじゃねーの?w」
と言われて、あまりのヒドイ言われように頭が冴えてきました。
ちょっと今回、わたしが恋愛がうまくできない理由について「穴でモノ考えてるから」なのかどうかもハッキリさせていこうと思う。
というわけで、聞いてくれ。
半ギレの冴えた頭で書きます。
🌃
だいたい、恋愛の何が難しいんだろう、どこでつまづくんだろうって考えたときに、この
「分かり合いたい」の価値観、いうならば「分かり合いたいワールド」が息切れの原因だと思った。
"恋愛初期のときめき"について、ライムスターの宇多丸さんが以下の定義をしているんだけど、好きなので引用する。
『相互理解の入り口に立ったとき、要は「この人となら通じ合えるかも、わかってもらえるかも」と思えたときのワクワク感』
これね、彼の解釈では「通じ合える」、「わかってもらえる」ということに恋愛の主眼がおかれている。
関係が深まるということは、相手のことを知っていくことで、その先にあって到達すべきとされているのが「わかる」という感覚だ。
これ自体は、共通認識だと思う。
じゃあ、その「わかる」ってなにって感じですけど・・・
「理解する」で言い換えられそうな気がするが、
たとえば
≪理解はできるけど、分かっていない≫
みたいな言い回しが成立するように、
「理解する」ということ「わかる」ということは微妙にニュアンスが違っていて、恋愛において「わかってくれる」「わかってあげたい」「わかりあう」という場合、このニュアンスの違いの核となる部分が重要なんだと思う。
広辞苑だと「理解」「わかる」はそれぞれこうなっている。
り‐かい【理解】
①物事の道理をさとり知ること。意味をのみこむこと。物事がわかること。了解。「文意を―する」
わか・る【分かる・別る・判る・解る】
②事の筋道がはっきりする。了解される。合点がゆく。理解できる。狂言、鍋八撥「これでは理非が―・らぬ」。「よその言葉が―・らない」「文学が―・る」
重なる部分がほとんどだけれど、「意味をのみこむ」は「理解」、「合点がゆく」は「分かる」に特徴的な部分だ。
要するに、「わかる」は「理解する」より感覚的なイメージ。
わたしの解釈だと、恋愛における「わかる」は、意識を共有するようなイメージがある。
これって、「どれだけ親密になっても他人は他人」という価値観とは真逆で、なかなかきついものがある。
だって、やっぱり「どれだけ親密になっても他人は他人」ということは、否定しようもない真実じゃないですか。
他人じゃない関係ってなんだ、というと「相手の存在ありきで自分が成立している関係」ということになるが、でもそれって依存に他ならないし?
自分は自分だし他人は他人だし、自分のことは自分でなんとかして自分で救うしかない。
これはわたしが常々思っていることだけれど、
他人に救ってもらいたい、他人を救いたいと思い始めると、それは不可能だから、お互いにもたれ合ってしんどくなっていく。
でも、「分かり合いたいワールド」では、自分と他人の境界があいまいだから、「分かり合いたいワールド」に浸れば浸るほど、「救いたい」「救われたい」の気持ちが増殖していく。
そうすると、果ては、
- 束縛し合う関係になってしまってしんどい
- →「こんなにしんどいのは分かり合っていないから?」
- →じゃあもっと「分から」ないといけない
- →もっと束縛
- →もっとしんどくなる・・・
のループになるわけです。
つまづいているのは前提。
「分かり合いたいワールド」にコンニチハしてしまった段階でミスってる。
だって、「わかりあう」なんて無理じゃん。
だからもう「わかりあう」ことを目指すのを恋愛の目的から外したら、楽になるひと結構いるんじゃないかなと思う。
🎀
自分のこともっと分かってほしいけど、分かり合うことを求めていくとしんどくなる。
「この世で2番目に嫌なのが誤解されること、一番嫌なのは理解されてしまうこと。」
というのは、村上龍の小説「ラッフルズホテル」の萌子の台詞で、1対1の恋愛の厳しさを突いていると思う。
セックスは身体的なつながりだけじゃなくて、精神的なつながりがないと気持ちよくないし、ある程度、相手を知ることは重要じゃん?
でも、「違いを違いのまま認めあえる」ということと、「意識ごと共有する」ということは違う。
わからなくていい、「知る」「理解する」でとどめておいたほうが平和じゃないか?と思う。
どうしても「分からない」部分だらけで当然だし、だからセックスして「分かり合ってる感」を埋めるのが気持ちいいんじゃないの?とも思う。
✝️
どう思う?ちょっとみんなの意見聞きたい。
それでもわたしと「分かり合いたい」ですか?
わたしはもうわりとしんどいです。
そして「分かり合いたいワールド」から追放されたわたしは正直、恋愛ってなにが目的なん?の状態です。
やっぱり「穴でモノ考えてるからじゃねーの?w」が、あながち間違ってないのかもしれませんね。
・・・は?
🍫🍫🍫おしまい🍫🍫🍫
&/きのこ帝国
苦しいから苦しめたくてお互いに首を絞めた
そうじゃなくて本当は抱きしめたいのにそれが
できない